2010年12月31日

2010.5.4

午後11時 父永眠 78歳

大切に守ってきた家族に見守られ

いちばん帰りたかった自宅の居間で静かに息をひきとった。

外泊の許可がでたので午後迎えに行った
夕方から苦しそうだった

「救急車を呼ぼうか?」と言うと
「いい」と首を横にふる

みんなで体をさすっていると
急に「起こしてくれ」と言わんばかりに
孫の肩に手をかけ起きようとする

そっと起こしてあげると
満足したかのようにベットに座っていた

5分くらいずっと座っていたので
「そろそろ横になろう」と寝かせてあげると
母の手をぎゅっとつかんで
「ありがとう」と口をパクパクした
反対側の私をみてうなずいた
その後すぐに「スースー」と静かな息を立て目を閉じた
誰もが「苦しいのが治まって眠れたんだね・・」としか思えなかった
まさかそれが父の最期とは思えなかった

「自宅で最期を迎えられてきっと幸せだったはずですよ」
と担当医が言ってくれた
そうしたくても出来ない人がほとんどだから・・と
その言葉に少し救われた・・
「この病気は普通耐えられない程の痛みに苦しむものですが、
 最期まで痛いと言わないし、痛み止めさえ打たなかった患者さんは
 ほとんどいないですよ」
真面目に一生懸命生きてきた父へ神様がくれた贈り物かもしれない・・


でも「もっとしてあげられる事があったのに・・早く救急車をよべば・・」
最期の日を後悔してばかりいた

49日の頃は
「病院で寝たきりの毎日だったら、家に連れて帰って介護すればよかった・・」
入院生活を後悔していた

いつも座っていた父の座椅子に父の姿がない時
寂しさが込み上げてきた
無性にもう一度会いたいと思う時があった

時が経つにつれ
最期まで気丈だった父を心から尊敬していた
娘として生まれてきたことを誇りに思う

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2010年05月04日

父の闘病記5

 5/2〜5/3 外泊できた

 今の担当看護婦さんは親身になって、患者にも家族にも接してくれる。病院での点滴の時間や様子や睡眠状態など、家族が心配な事、聞きたい事を面倒がらずに何でも答えてくれる。主治医からは「本人の好きなように・・」と短い時間でしか話せなかったので尚更看護婦さんには感謝している。

 その看護婦さんから「夜中もかなり吐きますよ・・」と言われての外泊だった。
 
 本当は5/1に迎えに行ったが「気持ち悪い・・」と外出も拒否した。
 すい臓ガンなのに今日まで一度も「痛い」と言った事がない父の「気持ち悪い・・」は余程の辛さなのだろう・・しかも「気持ち悪いのを和らげる注射をしますか?」と聞くとうなずいたという・・
 
 そんな訳で5/2に外出だけのつもりで迎えに行った。連休なので孫達が抱えて、父の愛車だったエスティマに乗せて帰ってきた。

 家に着いてから何度か吐いたが、26歳〜22歳までの男4人女1人の孫達が手際よく連携プレーをしてくれる。そばに一人ついて「じいちゃんが吐くよ」と言うと、吐いた物を素手で受け止める子・洗面器をもつ子・ティシュを重ねておく子・背中をさする子・水を飲ませる子・・みんなが一瞬で動く。大人たちの出る幕が無いほど・・

 そんな孫達を見ているだけで年老いた母が涙を流している。
孫達が生まれた時からずっと愛情を注いでくれた父だからこそ、孫達も心からの恩返しをあたりまえのようにしているのだろう・・

 私自身初めてみる子供達の介護姿に、親バカかもしれないが天使にみえていた・・と同時にその連携プレーの見事さは「さすが!運動部で鍛えられた者・・」と感心してしまった。
 

 夕方帰る時間になると「泊まりたい・・」と父が初めてわがままを言った。時間に几帳面な父は、前回まで病院に戻る時間さえも気にしていた。5時までに戻るには4:30には家を出ないと・・4:00過ぎると「何時?」と周りをせかしていた。
 その父が外出だけのつもりで帰ったのをわかっていて「泊まりたい」と言ったのには、みんな驚いた。早速病院に電話すると、ひとつ返事で許可がおりた。

 夜になって、子供の友人でプロのバイオリニストの「ともちゃん」がわざわざ来てくれて、父の前でバイオリンの生演奏をしてくれた。
「ふるさと」「赤トンボ」「おぼろ月夜」「砂山」など・・童謡を中心に10曲近く演奏してくれ、そのやさしく心に琴線にふれる音色がみんなの涙を誘った・・

 夜10時過ぎに消灯したが、孫のカズと私が一晩父の両側で寝る事になった・
30分〜1時間おきに吐いていて3人共ほとんど眠れなかった・・
 吐く量が昼間とは比較にならないほど多かった。あまりにも吐きすぎて「ショック状態」になってしまうかと思うほどだったが、吐いた後の父はすっきりした様子で「みず・・」と言う。水を飲むとまた5分後に吐いてしまうが、その後はいびきをかいて眠る。

 しかし1時間も経たない内に、いびきからのどが詰まるような音になると「洗面器・・」と吐く事を訴える。その繰り返し・・

 孫のカズは父にとって初孫だったので思いもひと際強い。私がウトウトしている間、吐いた後少し調子がよくなった時にいろいろ話が出来、父もうなずいていたそうだ。
 夜中起きていて父の様態をずっと見守っていてくれた。

 長い夜が明けた。
「毎晩ひとりでこんな苦しい思いをしているのか・・」
家に泊まりたいと言った父の気持ちが痛いほどわかる。
今日からでも病院に泊まれたら・・と思っている。

 午前中に病院に帰りすぐに点滴(栄養剤)を始めた。
「今晩泊まろうか?それとも家に帰る?」と聞くと「帰れるなら家に泊まりたいなぁ・・」とかすれ声で言った。
 看護婦さんに相談。「外泊はいつでも許可がでているからいいけど・・栄養を体中にめぐらせて、一日おいて万全の状態がいいですよ。それでも、もしもの場合を覚悟して下さいね」とアドバイスされた。夜ひとりで吐いてる事を聞くと「大丈夫ですよ」と言ってくれた。つきっきりではないが、マメにみにきてくれるし、夜は体につけている機械で異変がすぐわかるとの事だった。
 
 
 最期の時、家族がどう選択するのか・・2月頃に先生から言われていた。患者さんの意思を尊重するか、少しでも延命を重視するのか・・母と『本人が望む事を・・』の選択をした。もし一日でも長く・・と選択するのであれば外出もしないで、顔も体もチューブだらけになっているのかもしれない。

 明日の5/4にまた外泊する事にした。
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2010年04月30日

父の闘病4

 4月25日の日曜日と29日の祝日に家に帰ってきた。

 2日前から吐くようになり、医者から胃が圧迫されているので・・と告げられた。鼻から管を通せば楽になるので、連休が終わったらやりましょうと言われた。

看護婦から「家に帰れますか?」と聞かれ大きくうなずいた。毎日看護に行っている母と孫が帰ろうとすると『もう帰るのか・・俺も帰りたい・・』とこの3日間、毎日家に帰りたいと言っていた。

 先週までは「暗くなるから早く帰れよ」と言ってた父がそんな事を言うなんて余程なのだろう・・

 家に帰っても『気持ち悪い・・』と何度も吐いた。足がむくみ、3倍くらいに膨れ上がっていた。

 5月1日〜2日に外泊する事になっている。何とか連れて帰りたい・・

 相変わらず記憶力は少しも衰えていない。
 「チビザルがいる・・」と棚の上を指差したので何の事だろうと見たが何もない。「幻覚がみえるのか・・」と思っていた。母に「チビザル」がいるなんて言うんだよ・・と話すと、「いるよ」と隣の棚の上から日光に行った時に買った『見ざる言わざる聞かざる』の三猿の貯金箱を出してきた。「よく覚えてるねぇ」と感心していた。

 2011年に変わる地デジの話。「このテレビ、どこで買ったのかな・・」と問いかけると「コジマ」と即返事が返ってくる。アンテナ立てなくちゃならないよね、と聞くとうなずく。

 医者から4月いっぱいもちません・・と言われたが、もう4月も終わる。このまま寝たきりでもいいから、ずっと生きていて欲しい・・
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2010年04月20日

父の闘病3

 今週も父は家に帰ってきた。

 土曜日の午後母と病院に行くと、ナースセンターのいちばん近い個室に移動させられていたのには、ここまできたのか・・とショックだった。
 病室に入ると父は寝ていた。相変わらず痛いとは言わないが黄疸がひどくなっている。ほとんどの時間寝ている。しばらくして起こすと「あと半日・・」と言った。いつもかすれ声で聞き取りにくい父の声だったが、この時ばかりは大きな声を出したので一瞬何の事かわからず母と顔を見合わせた。

 そばにいた看護士さんが「明日家に帰るんだよね。あと半日だよね。」と返事を返して初めて明日の帰宅を心待ちにしている事がわかった。1週間をどんなにか心待ちにしていたのだろうか・・

 「今日は土曜日だな・・」と確かめるようにつぶやいた・・

 そして昨日、ありがたい事に晴天。父が帰宅するようになって日曜日毎に快晴が続いている。車の中で孫が昨日TVでみたしだれ桜の話をしていた。「東北の方で・・」父が口をパクパク「福島県だ・・」母が「そうそう福島まで行った事があるよ。」
旅行が好きで、運転が好きで、定年後は夫婦で日本中あちこち行った父・・相変わらず記憶は少しも衰えてないのには驚く・・
 
 家に着いていきなりイチゴを5個も食べた。口に入れやすいようにと半分に切ったイチゴにフォークをさして食べさせようとすると、「切ったらダメだ」と持とうとしない。家族が食べる為皿にのせた山盛りのまるごとのイチゴを出すと、「うまいなぁ・・」とあとからあとから手を伸ばして5個も食べてしまったのには、みんな目が点になっていた。イチゴを食べながら父の目から涙がこぼれていた・・
 
 このイチゴは、大親友のしずちゃんが心を込めて作っているイチゴだった。今まで食べたイチゴの中でしずちゃん家のイチゴがいちばんおいしい。1ヶ月前医者から好きな物を食べていいですよ、言われ父が「うまいイチゴが食べたい。」と言った。
 
 しずちゃん家で朝とれた完熟のイチゴを届けたら「うまい、うまい」と大満足。病院に行ってからもまた食べたいと言うので、母がスーパーで買って持っていくと、ひと口含んだだけで食べなかった。
 家に帰ってくる父のため、しずちゃんがおいしいイチゴを用意しててくれた。家が近所で幼稚園から一緒だったしずちゃんは、父の事をよく知っている。しずちゃんの父は15年前、バイク事故で突然他界してしまった。お別れの言葉も言えず、感謝の言葉も言えず、心積もりも出来ないまま突然の別れ・・その分父への思いを込めて摘んでくれたのだろう。その思いを受け取ったかのような父の無心にイチゴを食べる姿が嬉しかった。

 病院にいる時から「鯉のアライが食べたい・・」と言っていたのを思い出した母が「鯉のアライ食べるかい?」と聞くとうなずいた。うなぎ屋さんに電話をして往復20分足らずの道を大急ぎで走り買ってきた。父にたれをつけて口に入れようとすると、箸で自分で食べると言う。みんな無理だよ・・と顔を見合わせたが、お盆にのせたアライを2切れ、時間をかけながら自分で食べた。

 片づけようとするとまだ置いてて欲しいと言う。箸をつける事は出来なかったが、満足そうだった。

 お茶も水もコーヒーもほんのひと口だが、カップで自分で飲んだ。孫達とタバコを吸って、また幸せなひとときが過ごせた。

 帰りはさすがに疲れたらしく、いびきをかいて寝ていた。

 GWがもうすぐだから泊まろうね、と約束した。
 来週も帰ってこられる事を願っている・・
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2010年04月13日

父の闘病2

 寝たきりの父を運んでくれたのが『民間救急自動車』だった。
入院から自宅に帰れたのはわずか3回。2回ほど病院の車イスを借りて成人した孫達が3人がかりで車に乗せていたが、かなり体に負担だったらしく、おとといの土曜日自宅に帰る予定が「体がだるくて動きたくない」と拒否した。
 
 母は「動かすのは可哀想だからもうじっとしておいてやりたい・」と言う。今帰らなければ、益々病状が進み帰れなくなる事がわかっていた。真面目に働いてマイホームを2度も建て、家が大好きだった父が帰りたくないはずがない・・

 何とか寝たきりのままでも帰れる方法はないか・・と思った時にふと思い出したのが以前の職場での事。ある葬儀場の社長さんが相談に来ていた話・・葬儀場の他にも旅行会社を立ち上げ、評判も上々だった。さらに車イスや寝たきりの人も運べるタクシー代わりの仕事をして行こうと思っているとの事で手続きのあれこれを相談した事があった。

 何と偶然か・・電話帳を調べようと探していたらパンフレットが置いてあり『消防本部認定 患者等搬送業者』『寝たきりの方や、病気・ケガの方の足がわり、手助けに真心サービス』『年中無休・24時間体制 全国どこへでも移送可能』
まさにあの時の会社のパンフレットが目の前にポンと現れて驚いた。

 すぐに電話をかけ明日の空き具合を確認。予約が取れた。しかも、自分では忘れていたが、会員になっていた。料金はタクシーより高いが、父を家へ連れていけるのならみんな喜んで出し合えるのはわかっていた。

 あとは、父への説得。孫達が「寝たままで帰れるよ。もう頼んだから明日帰ろうね・・」と言うと「金額が高いだろう・・」とそんな状態でも私たちへの負担を考えている・・でもその言葉には帰れるものなら家へ帰りたい気持ちが伝わってきた。

 そして昨日。看護室に迎えに来た旨を言いに行くと、午前中看護士さんが「今日帰りますか?」と聞いた所「体がだるい」と言った。無理しないで今日はやめますか、と聞くと「はい」と言ったという。医者や看護士に従順な父は、その言葉で自分に自信を失くしてしまったのがわかった。

 病室の父に子供達が「じいちゃん帰るよ。迎えにきたよ。寝たままでいいんだからね。」と言うと「せっかく頼んだのだから・・」と帰る様子をみせた。

 そして、家につくと病院で帰れないと言っていたのが嘘のように穏やかな顔で5人の孫達と話をし、写真を撮り、定置からいつもみつめていた庭を眺め・・目に焼きつけているかの様だった。

 あっという間の3時間を過ごした。

 帰りの車では頭を少し高くして後方の景色が見えるようにしてもらった。遠ざかる自宅、80年近くも住み慣れた町並み、風景をじっとみつめている父を見ているだけで涙があふれそうだった。何を思い、考えているのか・・聞きたいけどとても聞けないし、父も言わないだろう・・

 『民間救急自動車』のおかげで、父も家族も幸せなひとときを過ごす事が出来た。心から感謝している。

 願いを込め、来週の日曜日に同じ時間の予約を入れた。もし、キャンセルになったら申し訳ないけど・・と付け加え・・
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2010年04月12日

父の闘病

 今日実家の父が病院から一時帰宅した。とはいってもわずか3時間の外出・・そしてこれが最期になるかも知れないと思うと、母も兄も孫達も隠れながら涙を拭いていた・・

3年前に膀胱ガンを発病。突然の下血に父はもしかしたら・・と思ったそうだ。医者が嫌いでほとんどかかった事のない父がその日の内に病院へ・・検査入院し膀胱ガンがみつかった。

父の父親は65歳で膀胱ガンの為他界している。
74歳だった父が全く同じ場所にガンが出来、そのショックは大きかった。いきなり医者から膀胱全摘出を告げられたが、抗がん剤治療を受けてそれでもだめだったら・・という事で2度の入院をしながらの抗がん剤投与を受け、1年後には見事に完治。転移もなく安心したのもつかの間・・
昨年4月から下痢が止まらず、近くの町医者に通っていた。半年経っても症状がよくならず大きな病院へ・・

そこで初めてすい臓ガンが発見された。
今度も父の事だから、見事に克服するだろうと深刻には考えてなかった。通院しながら、何種類もの検査を繰り返した。自分で車を運転して検査に行っていたが、だんだん階段を上がるのも辛くなってきたという。

日毎に体重が減り、検査の精だと思っていたが、医者に呼ばれすい臓ガンの恐ろしさ・手術の難しさ・進行の早さを初めて知った。
今年1月歩いて入院し、一時は手術も考えたが余りにも体力が落ち手術には耐えられないと告げられた。
2月にはあと半年か3ヶ月との宣告を受けた・・
3月にはあと1ヶ月との宣告を受けた・・
そして先週には黄疸が出始め、あと1週間で話す事もままならないでしょうと宣告を受けた・・

医者が一番驚いているのは、『痛い』とひと言も言わない事・・
検査から今日まで家族も父が痛いと言ったのを聞いていない。
この段階では、とっくに医療用のモルヒネを使い痛みを和らげている人がほとんどだという。
しかし父は全く痛がらないので、痛み止めさえ使っていない。

痛がらず、わがままを言わず、じっと寝たきりになっている父は模範患者そのもので「我慢しなくていいんですよ」と何度医者や看護婦から言われた事か・・寡黙で余計な事を話さない父だったが、最期の瞬間までそんな強い人でいられるのには尊敬してしまう。

ガンは確実に大きくなっているけど、神経に触れないでいる為かも知れないですね・・との医者の言葉・・早くに母親を失くし、兄弟達の面倒を見、結婚してからも家族の為真面目に一生懸命に生きてきた父に神様からの贈り物なんだね・・と母と話している。

言葉には力がなくなり、食事も全くできないが、家族の問いかけにはしっかり返答する。今日も父を中心に家族で写真を撮った後、父のプリンターで焼こうとしたが、用紙がみつからない。子供達がどこかな・・とあちこち探していると父が口をパクパクしている。みんなが耳を傾けると「そこの引き出しの2番目・・」と奥のほうを指さしている。みると何種類もの写真の用紙が入っていた。A4の4分の一にプリンターしてみせると「この用紙じゃもったいないから、もっと小さいのを使うんだ・・」と言う。

また、父にジュースを飲ませようとストローの差込口を作る為穴を開ける『キリ』を探していると口をパクパク・・「外の物置・・開けて右の棚の真ん中・・」

5人の孫達と一緒に大好きだったタバコを3本も吸って、コーヒーとお茶も体を起こしてカップで飲んで・・

とても・・あと数日で死期が迫っているなんて考えられなかった。
もしかしたら、誤診かもしれない・・奇跡が起こっているのかもしれないと・・そうあって欲しいと願っている。
posted by pasoko at 00:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年03月23日

いつの間にか一年が・・・

久しぶりの更新

時の早さをしみじみと感じている
追々2009年の出来事を書いていこうと思うが

ブログを更新できない最大の理由が、新しい仕事・・
昨年5月に某有名パソコンメーカーの修理受付の仕事に応募してみた

大した能力もなく20問の試験もほとんど出来ず・・
面接をやっても無駄だろうと、帰ろうとさえ思った

面接は前職のおかげで、好感触だったが筆記が・・
しかし翌日合格の連絡をもらってとても慌てた

2週間の研修・・20代の息子より若い子達に混じり100ページもある業務をあたふたと必死で覚え・・学生時代は一度説明されるとすぐに理解出来た事がなかなか覚えられない・・生まれて初めて「落ちこぼれ」そうな感覚を知った

自身もないままいざデビュー
いきなり2台のパソコンを預けられ、10種類以上の機能を駆使して2つの顧客名簿を仕上げる。個人情報保護の為メモは一切不可、お客様と話しながらすべてダイレクト入力。しかも日本全国からの個人のお客様のパソコン修理依頼。初めて聞くパソコン用語も多々あり、クレームも多々あり、一日何件とノルマもこなし・・・

会話内容はリーダーに聞かれ、入力内容もチェックされ、少しでもミスがあると即IP(社内連絡メール)が飛んできて・・

そんな毎日で自分のブログを開く気力がなくなっていった

とてもついていけないと思ったが、途中で投げ出すのはもっと嫌なので任期(6ヶ月)までは・・と頑張っていたら

「いくつになっても人間出来ない事はないなぁ・・」と悟った
慣れてきた2ヶ月目には、件数も売り上げも一番になっていた

無事任期を終え

たまたま募集が出ていた某有名電気メーカーの修理受付 
今まで各拠点で行っていた修理受付・SEの手配を西日本と東日本に統一する為創設からの募集・・

またまた新しい事を覚えるのか・・と不安を抱きながら研修に参加したが、某パソコンメーカーの厳しさとは裏腹に何と楽な事か・・
見慣れた顧客名簿の画面だと思っていたら、システムは前にいた某パソコンメーカーが作成。しかも全くパソコンが出来ない中年の社員さんも多く(営業・現場)各部署からの寄り集まりの為、規則が確立されていない。問題が起こるたび、「この場合はこういう入力にしよう」と手探り状態・・

パソコン(顧客名簿作成)に慣れている私は何故か優等生に・・
今月になってSEへの手配までやり始め、やっと自分のブログも開く余裕が出てきた
とはいっても、毎日仕事で8時間も画面を見続けると流石に目が疲れる・・早寝になっているこの頃なのです
posted by pasoko at 00:03| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年05月05日

道の途中その2

 雨雨雨が一日中降り続いたため
 我が家に二泊した『さとし』君家

 三日目の快晴晴れ
 佐野の『アウトレット』まで送っていったビル

 千葉を目指すなら車がたくさんあって

 車(セダン)  車(RV)  バス  車(セダン)  車(RV)
 千葉県方向に行く車を見つけやすい場所・・

 そこで名残惜しく別れてからたらーっ(汗)

 ひらめき2週間やや欠け月半月三日月満月


 ひらめき昨日わーい(嬉しい顔)『北海道上陸』exclamation×2


 岩手県あたりが一番過酷で
 宿がなくて二晩テント暮らしふくろ
 
 しかもexclamation×2あの寒さがぶり返した日々でバッド(下向き矢印)
 台風テントの中は零度だったとか・・がく〜(落胆した顔)バッド(下向き矢印)バッド(下向き矢印)

 コンビニで、ペットボトルにお湯をもらって
 湯たんぽ代わりにしたらしいたらーっ(汗)

 そんな極限を味わったあとふらふら
 青森県であったかい宿と食事を提供してもらいいい気分(温泉)

 位置情報船で北海道上陸 船

 
 4月2日 三重県出発→愛知県→静岡県→神奈川県→東京都

 →山梨県→埼玉県→群馬県→栃木県→千葉県→茨城県→福島県

 →宮城県→岩手県→青森県→北海道
 
 モータースポーツ『日本一周 ヒッチハイクの旅』モータースポーツ
 
 くつくつ着々と足跡を刻んでいる足足足
 
posted by pasoko at 01:12| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月16日

道の途中

       NEC_0364.JPG
 群馬県太田市に行った帰り道

 道端で『佐野』と掲げている若者をみつけた。

 今どき珍しい『ヒッチハイク・・?』

 バックミラーでながめつつ
 ふとよぎったのが全国を遠征している長男のこと

 きっとあちこちでいろんな人にお世話になってきたんだろうなぁ

 その分の恩を他の形で伝えられたら・・

 と思い止まった。


 日本全国をヒッチハイクで旅している23歳の『さとし』。

 三重県→愛知県→静岡県→神奈川県→東京都→山梨県
 →埼玉県→群馬県

 これから栃木県に入り千葉県へぬけるとか・・

 佐野市へ行ってもあてもないとのことで
 今夜は我が家へお泊り。
 
 錦織圭に似た笑顔がさわやかな青年。

 将来小学校の先生になりたいので一年間の人生勉強

 まだまだ先は遠いがこの旅で、色んなものをみて
 いろいろな人に触れて

 大切な財産を築いていくだろう。NEC_0364.JPG
posted by pasoko at 21:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2009年04月08日

  直人くんの春

     クロッカス.JPG
     クロッカス


 昨年暮れに個展を開いた【直人くん】から、春の便りと共に

 一枚の絵を送ってもらった。

 pasokoが大好きな『直人くんの世界』がまた増えた。

 
 時には やさしさを・・

 時には 元気を・・

 時には あったかさを・・

 時には 力を・・・

 時々訪れては 大切なものをもらっている。

   直人のスケッチon
posted by pasoko at 23:26| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする